写真集

藤原敦

木格(ムゲ)

唐仁原信一郎

徳本義明

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[写 真]
藤原 敦「鹿児島」
木格(MUGE)「GO HOME」
唐仁原信一郎「SHIBUYA」
徳本義明「ぽたらか」の人々
[編 集] 長谷川 明
[発行者] アスファルト出版
[発行所] フジフィールド株式会社
[翻 訳] Miles Yebisu
[印 刷] 株式会社レーエ

【序文】

今号のゲストの木格(ムゲ)氏は中国の四川省成都在住の写真家である。1979年重慶に生まれた。近年、長江に三峡ダムが建設され、人々の暮らしも大きく変わったため、それを記録するため重慶に戻った(GO HOME)ときの一連の写真である。

このことは映画「長江哀歌」(?樟柯監督)でも扱われている中国人にとっては大きな出来事であった。しかし、木格氏の場合問題はそれだけにとどまらない。この名前は実はチベット名を漢字にしたものなのである。本名は黄?である。

現在の中国で有利になるとは思えないチベット名をなぜ名乗ったのか。氏の来日期間が短かったため、それを問う機会がなかったので、以下のことは私の推測だが、チベットというのは本来もっと大きな独立国家だった。現在の青海省、四川省、雲南省の一部も含まれていた。 そのため四川省にはチベット人が多い。木里もそのひとつである。チベットは1949年からの中華人民共和国軍の侵攻によって中国への併呑の道をたどった。

1959年には大きな武力衝突が発生したが、中国はそれを徹底的に弾圧し、ダライ・ラマがインドに逃れたことはよく知られている。チベットの不運はそれだけではなく、文化大革命のときには伝統文化と信仰を大規模に破壊された。 さらに一昨年の「暴動」は世界中で報道されている。こういうことは若い木格氏とは何の関係もないのかもしれない。だが、強権支配下の国での発言は屈折した映像の形で出てくることが多い。

かつてのアンジェイ・ワイダがそうであり、現在の中国の映画・写真がそうである。見る者を考えさせる写真の好例として掲載してみた。なお、これは昨年「禪フォトギャラリー」で開かれた写真展をアレンジしたものである。

藤原敦氏の「鹿児島」は氏の個人的な思いと関係が深い。氏の祖父藤原藤門氏は鹿児島で長く教職を務めた。歌人でもあり、昭和11年に北原白秋の短歌結社「多磨」に入会している。現在歌集「南国頌」が残されているので一首引用してみよう。

隼人塚五輪の卒塔婆傾きて煙草の花の盛り過ぎたる

次号も同じテーマで掲載する予定である。

唐仁原信一郎氏の「SHIBUYA」は、今号は暗くなりそうなので、なるべく人がワサワサいる写真を撮ってくれという私の注文に応えてくれた作品群である。若者の多い渋谷は好適と言えよう。 今の写真界の傾向として人を入れたスナップが減っている。肖像権が主張されるため、撮りにくく発表しにくくなっているのは事実だが、それだけでなく若い写真家に人嫌いが増えているような気がする。

ギャラリーを回っても風景写真が多い。それが悪いとは言わないが、面白くないとは言える。唐仁原氏の素直なスナップが逆に新鮮に見えるのはそのためである。

最後になったが、徳本義明氏は1942年生まれ。写真家として長いキャリアを持つ。ここに掲載されている写真は、氏の解説にあるように「ぽたらか」という仏教系の福祉集団による葬儀の様子である。主催者の平尾弘衆氏は尼僧の出身。 徳本氏もその活動に協力している。身寄りを失った生活困窮者などの葬礼もしてくれる。仏教は脱俗を旨としたため、社会との関係が浅く、キリスト教に比べ福祉活動の事歴に乏しい。

彼らの活動は希少なものと言えよう。一言付け加えると、普通死者の素顔の写真などは雑誌の類には載らないものなのだが、そのことにも多少の疑念があるので、徳本氏と相談のうえあえて掲載した。 ポタラカとは漢字では補陀洛と音写され、観音菩薩の浄土のことである。

長谷川明

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