写真集

須藤明子

唐仁原信一郎

藤原敦

松永泰明

[ 戻る back ]

[ ASPHALT8 ]

[写 真]
唐仁原信一郎「新宿」
須藤明子「チベット」
藤原敦「蝶の見た夢 Part1」
松永泰明「上海蒐影」
[編 集] 長谷川 明
[発行者] アスファルト出版
[発行所] フジフィールド株式会社
[翻 訳] Miles Yebisu
[印 刷] 株式会社レーエ

【序文】

今号のゲストの須藤明子氏は1974年東京生まれ。日本女子大を卒業して写真の道に入った。掲載のチベットの写真は2005年の2月から3月にかけて撮影されたものである。

五体投地などの宗教的慣習を含めその日常がよくとらえられている。チベットはかつては独立国であった。 18世紀半ばに乾隆帝が征服し属国にした。辛亥革命後、ダライ・ラマ13世が「5カ条宣言」によって独立を表明したが、国民党政府は認めず、 さらに共産党政府は1949年に領有を宣言して軍を進めた。現在もなお独立運動が続くのはこういう理由による。

「動乱」の映像はTVでも見ることがあるが、これは中国が撮影編集したものだから漢族の店のシャッターを蹴飛ばすチベット人の姿などだけが放映される。 しかし、宗教者や普通の人の平和なデモ行進に対して漢族の公安がどういうことをしたかは歴史学者の西村康彦氏がこう書いている。

「公安は隊列の前面を進んでくるチベット人たちの脚を狙って鉄棒で殴打する。 (中略)膝蓋骨を粉砕するか、取り除いてしまうからで、これによって僧侶なら修行や巡礼、市民なら非合法活動をできなくしてしまうのが目的なのだ」 (「ツプテン・ラマのこと」)。

また文化大革命のときには寺院は徹底して破壊され、文物は略奪された。 チベット人は本来穏やかな民族である。それは須藤氏がほとんどヒッチハイクで旅行したが不愉快な思いをしていないという事実が示している。

だが2009年の末に、氏がもう一度チベットを訪れようとしたときには、国境付近は中国軍だらけで、 前回のように貴州からは入れず、西安からの鉄道、バスの乗り継ぎでようやく入国したという。 そのとき駅にもたむろする公安から守ってくれたのはチベット人たちだったとの話だった。

唐仁原信一郎氏の今回のテーマは「新宿」である。私は、新宿は写真の「激戦区」だよと忠告しておいたが、 結果として氏の言う「普通の写真」という特徴がよく出た作になっていると思う。この街の現在の姿を見るには、なまじの芸術写真よりこの方が勝るであろう。

藤原敦氏の写真は一人の女性の生きざまをたどっている。 彼女は1982年生まれの女流緊縛師。父親はプロの昆虫採集家で、コレクターなどの依頼をうけ世界各地で珍しい蝶の捕獲などをしていたが、2007年に自殺してしまった。

彼女は銀座などで水商売に従事し、そのあいだに結婚、出産し今は二児の母親だが、離婚しシングルマザーとなった。 父親の死や離婚から彼女自身も精神的に不安定となったため、子供たちを彼女の母親の住む宮古島(沖縄県)に預けて、現在はやはり東京での生活を続けている。

SMの世界に出会ったのは偶然のきっかけだったようだが、この世界に自己実現への何かを見出しているらしい。 藤原氏もSM界というのが、けっして異常な世界ではないということと、彼女の中にねむる父親の影に興味を持ったという。 次号では、宮古島における彼女の周辺を撮影する予定だそうである。

松永泰明氏は1969年、岡山市生まれ。福岡大学医学部を卒業して、現在佐賀県唐津市の病院の精神科医という異色の写真家だ。 この写真は2009年に撮影されたもので、上海万博のためにスラム街(下町)を取り壊している状況の一枚である。北京オリンピックのときにも同様なことが行われた。

中国では土地の私有は認められず、使用権が認められるだけだから、国家の都合で強制立ち退きが行われることが多い。 補償は行われても折り合いがつかない時は強制収用法が適用されるので日本に比べ仕事(!)は早い。

「上海残影」はギャラリーMでの発表。つづく「上海熱震」はギャラリー風で展示された。写真集を期待したい作家である。

長谷川明

[ 戻る back ]